キラキラと輝く湖面に映った人間には見覚えがある。
私は槇原美香子としての人生を終え、異世界に転生したのであればこのキャラにだけはなりたくなかった。
頭の中がこんがらがっているが、朧げながら私は湖面に映る女として生まれ人生を送ってきた気がする。 私は異世界に転生したが、前世を思い出すと同時に今世で今まで過ごした記憶を失ってしまったようだ。 (ワーキングメモリーの問題かしら⋯⋯) 黒髪に紫色の瞳をした私は、乙女ゲーム『トゥルーエンディング』の隠しキャラであるマテリオ・ガレリーナ第1皇子を暗殺する脇キャラの顔をしている。今いる場所にはゲームの中で見覚えがあった。
ここには皇室の隠し通路の出口がある。虫の鳴き声、鳥の囁きに隠れて足音がする。
もしかしたら、今から、ここにマテリオ皇子が来るのかもしれない。
私はそこで待ち伏せしてマテリオ皇子を暗殺する。今回の暗殺は第3皇子のダニエル・ガレリーナの依頼だ。
ちなみにダニエル皇子はこの乙女ゲームのメインヒーロだ。彼は婚約者のロピアン侯爵家と組んで、第1皇子であるマテリオ皇子を罠に嵌めて暗殺する。
マテリオ皇子はメイドの子ということもあり、第1皇子にも関わらず後ろ盾がなかった。 生まれのせいで、幼い頃から冷遇され無愛想で貴族たちとの交流も薄い。周りが敵ばかりだと認識しているマテリオ皇子は、身分を盾に傍若無人な振る舞いをするようになっていた。
ダニエル皇子のマテリオ皇子暗殺は暴君を倒したと言うことで物語上は肯定されていた。 なぜなら、ダニエル皇子の双子の兄オスカー第2皇子をマテリオ皇子が毒を盛って殺害しようとしたからだ。ヒロインのラリカが平民でありながら、ダニエル皇子に見初められ結婚するのがこの物語のトゥルーエンディング。
しかし、マテリオ皇子がオスカー皇子に毒を盛ったという目撃証言も作られたものである可能性も否定できない。
それでも、オスカー皇子は皇后の息子でマテリオ皇子がその血筋に嫉妬し毒殺を試みたという噂は消えなかった。 普段のマテリオ皇子の周囲との交流のなさと、横暴な振る舞いが彼自身を陥れていた。 (人は変われるはず⋯⋯まだ20歳になったばかりのマテリオ皇子に「悪」というレッテルを貼らないで⋯⋯)実際、私はスバルと出会ってから悪い方にだが変わった。
今まで大切にしていたキノコや両親さえも、時にどうでも良くなることがあった。この物語には隠しキャラのマテリオ皇子ルートも存在する。
マテリオ皇子を信じ続けて皇宮を離れ、彼とひっそりと生きていくルートだ。私は男主人公ダニエル皇子の企みにより追い込まれるマテリオ皇子が好きだった。
彼は本当は心から自分を愛してくれる人間を求めている寂しい可愛い奴なのだ。
そのような可愛い彼は隠しルートでしか見られない。
他のルートのマテリオ皇子は横暴な性格でクズとして描かれていた。
私はマテリオルートでそのようなクズを矯正してしまうラリカに憧れていた。
「スバルなんかにハマらなければ、私は生きてたのかな⋯⋯」
私の前世は悪いものではなかったはずだ。愛するキノコの研究者になり、仕事は辞めることになってもキノコとひっそり暮らす生活があった。
美人に生まれなかったからか、オタクすぎるせいか男性から好かれる事はなかった。
他人からは詰んだ境遇に見られていたかもしれないが、私の中では満たされていた。
「出会わなければ良かった! あんな奴!」
夢なのかよく分からない世界の満点の星空に向かって思い切り叫んだ。その瞬間、ゲームの中で聴き慣れ私の心揺り動かし続けた低い声がした。
「出会わなければ良かったって⋯⋯それは、こっちの台詞だよ⋯⋯」
そこにいたのは何度もゲームの中で見てきた、銀髪にルビーのような赤い瞳をしたマテリオ皇子だった。
陶磁器のような白い肌は美しさよりも冷たさを感じさせる。
(マテリオ? スバル? 出会わなければよかったって⋯⋯)私は気がつけば、持っていたナイフで一思いにマテリオを刺していた。
私の中でスバルへの憎悪が抑えきれなかったのか、ゲームの強制力なのかは分からない。 自分は人を殺せない人間だと思っていたが、暗殺者の体ゆえに任務に忠実だったようだ。 人を刺す感触とは、とても気持ち悪いものだ。 一瞬怯んだが、私が刺した瞬間に口から血を吐いたマテリオの気だるい表情が美しく場違いに見惚れてしまった。瞬間、マテリオが自分の腹からナイフを抜いたのが見えた。
脇腹に鈍い痛みを感じると、意識が遠のいた。「ここは、皇宮ですよね⋯⋯家に帰して欲しいと言ったはずですが」 暗闇に白く浮かび上がる宮殿にはゲームで見覚えがある。 乙女ゲーム『トゥルーエンディング』の舞台であるガレリーナ帝国の皇宮だ。 ダニエル皇子のメインルートでは、ラリカが皇宮でメイドとして働き始めた日に出会いのイベントが発生していた。 ラリカが他の使用人たちに言いがかりをつけられ、水を掛けられて意地悪されていた所をダニエル皇子が助けるのだ。 「ロピアン侯爵邸に戻るつもり? あそこにいたら、君はまたエステルに虐められるよ」 馬から降りたダニエル皇子の手をとり、馬を降りながら私は違和感を感じた。(ロピアン侯爵邸? エステル・ロピアン?)「あの、私の家はロピアン侯爵邸なのですか?」「本当に記憶が曖昧なの? 君の家、ルミエーラ子爵はあのようなな事があって爵位を失って、君は遠戚であるロピアン侯爵家でメイドとして奉公させられてたじゃないか」 私が暗殺者だと思ってたナタリアは暗殺者ではなく、元貴族のエステルの遠戚だったようだ。(あのような事? 爵位を失う程の罪を犯したということかしら⋯⋯)「もっと、私の事を教えてください。記憶が曖昧どころか、本当に何もかも忘れてしまったような感じなんです」 私は自分のことについて知りたかった。 『トゥルーエンディング』の悪役令嬢とも言えるエステルの遠戚なのに、 ゲームのプロローグでしか登場しないナタリアの不自然さが気になったからだ。「君は僕の恋人だったよ。深く愛し合ってたんだ。君は世界中のキノコより、僕のことが好きだと言ってたよ」
「傷は治ったよ。君の心の傷は治せないかもしれないけれど⋯⋯マテリオのこと本当に好きになってしまったのか? 彼は女の扱いが上手いから、君のような子を誑かすなんて造作もないだろうな⋯⋯」 ダニエル皇子はそういうと、私の額に口づけをしてきた。 私には目の前の彼の方が、私を誑かそうとする悪い男に見える。 マテリオが女の扱いがうまいなんてゲームの中でも思った事がない。 むしろ、見た目は良いのに性格が残念なせいで女からは疎まれそうな感じだった。 ダニエル皇子は愛おしそうに私を見つめ、優しく私に触れてくる。 (まさか、ダニエル皇子に新宿ナンバーワンホストが憑依してるんじゃ⋯⋯絶対、引っかかるものか)「聖水は、いらないと申し上げたはずです。私を助けるのも、私が愛するのもキノコだけです。では、ここで失礼します」 私が立ち去ろうとすると、ふと、体が浮く感覚を覚えた。 ダニエル皇子が私をお姫様抱っこしている。「おろしてください。私には足があります。殿下の助けはいりません」 「キノコを愛でられれば良いって? そうやって、マテリオの事も誘惑したの? 僕もまんまと君に誘惑されたよ」 ダニエル皇子が何を言っているのか、全く理解できなかった。 そして、先程彼は私がマテリオ皇子に誑かされた可能性を話していたのに、今は逆のことを言っている。 (ナタリアが、マテリオ皇子を誘惑? 暗殺ではなくて?) ダニエル皇子は笑いながら、私を馬に跨らせ自分はその後ろに乗る。 私を抱きしめるように馬の手綱を握っていて、その距離の近さに緊張した。「どこに連れて行く気ですか? 家に帰してください」 「本当にあの家に帰る気? また、虐められるよ。僕の側にいれば守ってあげるよ」 後ろから、耳元で低い声で囁かれ空気のわずかな振動に体がびくついた。 大事なアマドタケを落としてしまわないように、そっと首元から服の中に入れる。「私を守れるのはキノコだけです。殿下は必要ありません」 「僕のキノコも君を守りたいみたいなんだ。君にも愛でられたいみたいだよ。ふっふっ」 ダニエル皇子は自分で言った言葉に自分でうけて楽しそうに笑っている。 彼のキノコとは何だろうか。 私は前世で自分の部屋に残して来たキノコたちに思いを馳せた。
「まだ、遠くには行っていない! マテリオ・ガレリーナを追え!」 うっすらと聞こえる低い男の声と共に重い瞼を持ち上げる。そこにはいかにも主人公といったオーラを放つ、赤い髪のダニエル皇子がいた。 周囲にいるのはダニエル皇子についている皇室の騎士たちだろう。 「ナタリア、目が覚めたのか。聖水で傷は閉じたが目が覚めないから心配したよ」 ふと目が合ったダニエル皇子が私に近づいてくる。 私はどうやら木陰に寝転がされていたようだ。 重い体で起きあがろうとすると、直ぐにダニエル皇子が私を支えてきた。 ゲームでは彼の婚約者のエステル・ロピアンからマテリオ皇子殺しを依頼されるシーンと、マテリオ暗殺シーンしかない暗殺者。 名前もない脇役だと思っていたが、名前はあったようだ。「ダニエル皇子殿下? ナタリア⋯⋯私の名前?」「そうだよ。エステルは本当に酷い女だな。暗殺者を雇ったと聞いていたのに、それが君だったなんて⋯⋯」 ダニエルが私の髪を愛おしそうに撫でながら、髪についた葉っぱを丁寧にとってくれる。 とても暗殺者に対する仕草とは思えない。 それにエステルはダニエル皇子からの依頼だと言って、マテリオ皇子を暗殺するようナタリアに伝えていたはずだ。 マテリオ皇子の暗殺は、このゲームの冒頭シーンに当たる。 ゲームのプロローグで、ナタリアが暗殺依頼を受ける場面があった。 マテリオ皇子が暗殺され、ダニエルは次期皇帝の座を確固たるものにしていく。(私は暗殺に失敗したけれど、これは隠しルート?) 隠しルートでは、暗殺されたはずのマテリオ皇子はひっそりと生きている。 そして、ヒロインのラリカと偶然出会い彼女とささやかな幸せを築くというルートだ。「私、マテリオ皇子殿下の暗殺に失敗したのですね⋯⋯申し訳ございません。暗殺者失格です⋯⋯」「ふっ、何を言ってるの? 貴族令嬢だった君に武力に長けた兄上が殺せるはずがない。最も兄上なら君に攻撃できないと思って、最高の嫌がらせとして君にナイフを握らせたんだろうけど⋯⋯本当に、反吐がでるほど、嫌な女だ⋯⋯エステル⋯⋯」 どうやら、ナタリアは貴族令嬢だったらしい。 過去形で話すということは、家が没落でもしたのだろう。 私はマテリオ皇子を刺した確信は合ったが、彼に刺されたという確信がなかった。 私の刺したナイフをマテリオ皇子
目を開けると、私は森の中の湖のほとりにいた。 木々が色とりどりに染まっていて、落ち葉が湖にはらりと落ちては浮いていた。 キラキラと輝く湖面に映った人間には見覚えがある。 私は槇原美香子としての人生を終え、異世界に転生したのであればこのキャラにだけはなりたくなかった。 頭の中がこんがらがっているが、朧げながら私は湖面に映る女として生まれ人生を送ってきた気がする。 私は異世界に転生したが、前世を思い出すと同時に今世で今まで過ごした記憶を失ってしまったようだ。(ワーキングメモリーの問題かしら⋯⋯) 黒髪に紫色の瞳をした私は、乙女ゲーム『トゥルーエンディング』の隠しキャラであるマテリオ・ガレリーナ第1皇子を暗殺する脇キャラの顔をしている。 今いる場所にはゲームの中で見覚えがあった。 ここには皇室の隠し通路の出口がある。 虫の鳴き声、鳥の囁きに隠れて足音がする。 もしかしたら、今から、ここにマテリオ皇子が来るのかもしれない。 私はそこで待ち伏せしてマテリオ皇子を暗殺する。 今回の暗殺は第3皇子のダニエル・ガレリーナの依頼だ。 ちなみにダニエル皇子はこの乙女ゲームのメインヒーロだ。 彼は婚約者のロピアン侯爵家と組んで、第1皇子であるマテリオ皇子を罠に嵌めて暗殺する。 マテリオ皇子はメイドの子ということもあり、第1皇子にも関わらず後ろ盾がなかった。 生まれのせいで、幼い頃から冷遇され無愛想で貴族たちとの交流も薄い。 周りが敵ばかりだと認識しているマテリオ皇子は、身分を盾に傍若無人な振る舞いをするようになっていた。 ダニエル皇子のマテリオ皇子暗殺は暴君を倒したと言うことで物語上は肯定されていた。 なぜなら、ダニエル皇子の双子の兄オスカー第2皇子をマテリオ皇子が毒を盛って殺害しようとしたからだ。 ヒロインのラリカが平民でありながら、ダニエル皇子に見初められ結婚するのがこの物語のトゥルーエンディング。 しかし、マテリオ皇子がオスカー皇子に毒を盛ったという目撃証言も作られたものである可能性も否定できない。 それでも、オスカー皇子は皇后の息子でマテリオ皇子がその血筋に嫉妬し毒殺を試みたという噂は消えなかった。 普段のマテリオ皇子の周囲との交流のなさと、横暴な振る舞いが彼自身を陥れていた。(人は変われるはず⋯⋯まだ20歳になった
レアード皇帝が体調を崩してから、皇位継承権争いは激化していた。 今世で、私は紆余曲折あり、男主人公ダニエルの専属メイドとして過ごしていた。 毎晩のルーティンワークとして寝室でダニエルの皇子の寝支度を整えようとするが、手がどうしても震えてしまう。 彼の夜着のボタンを掛けようとすると、その手を握られた。 突然の出来事に思わず、彼の澄んだルビーのような瞳を見る。「僕の先程の言葉に一点の嘘偽りもない。ナタリア、君を心から愛している⋯⋯僕と⋯⋯」 薄暗い寝室で、燃えるような赤い髪に憂いを帯びた赤い瞳をしたダニエルが私を見つめている。 あるはずのない聞き間違いだと思い込もうとしたが、私はこの部屋に入る前彼から愛の告白されていた。 彼はエステル・ロピアン侯爵令嬢との婚約を破棄したばかりだ。(私を愛している? 本当に?) 胸の鼓動が死んでしまうのかないかと言う暗い早くなり、私は美しい彼の瞳の赤に見入っていた。 その時、突然、寝室の扉が開け放たれた。 目の前には息を切らした失踪中だったはずのマテリオ皇子がいる。 外は雪が降っていたからか、彼の銀髪は湿気でべっとりと顔に張り付いていた。私とダニエル皇子が手を握りしめあっているのを睨みつけると、勢いよく近づいてきた。 マテリオ皇子の手には血が滴る剣が握られていて、私は釘付けになった。 「ナタリアを返して欲しければ、皇位継承権を放棄しろ!」 突然、ダニエル皇子が私の体を反転させ私の髪に刺さった簪を抜いて、私の首筋に立てた。 私の命などマテリオ皇子にはどうでも良いはずなのに、なぜこのような事を彼がするのか理解できない。 (ダニエル皇子殿下⋯⋯私を愛していると言ったのは嘘だったのね) 皇子様から「愛している」だなんて言われて浮ついてしまった自分を恥じた。 前世ではホストクラブで破産して、今世でも男に騙されているのだから笑えてくる。 「ふっ」 自嘲気味に鼻で笑ったマテリオ皇子は、剣を床に落とした。 前世の私は高校2年生の時、私はキノコと運命的な出会いをした。 愛しくて、奔放なキノコという存在に私の心は虜になった。 そして、大学院卒業後の私は念願のキノコ研究者として生活をしていた。 キノコの研究は没頭できたが、研究室というところの人間関係で躓いてしまった。 私の論文を嘲笑った如